あまりに突然の出来事だっただけに、こちらもパニックになりそうだったけれど、
なぜか冷静に対応できた。救急隊員とも完璧にやり取りし、現状を把握した。

隊長や店長と連絡を取り合った後、R1を富士方面へ戻り、蒲原という小さな町の
総合病院へ急いだ。隊長は蒲原を通り過ぎてしまい、敦賀健康ランド付近まで
来ていたようなので引き返してもらった。

マップルには載っていない細かい道が多く、巡回中のお巡りさんを捕まえて病院の
場所を聞いた。そして15分ほど町中を走り、到着。

駐輪場にカブを停め、病院の中へ。そして再会。 無事で良かった。
抑え切れない涙を、エリさんとDanchoxxに隠れてぬぐった。

しばらくして隊長も合流。とりあえずこの日はこの町に滞在することになりそう。
携帯の電池も無くなり、酔いどれさんをはじめ、関西で待つみなさんに情報をうまく
伝達できなかったので、それが悔やまれる。

警察と病院を行ったりきたりして、ようやく話がまとまった。
あとは大破した勇気号をどうするか。警察の方が処分してもいいと言ってくれたけど
それはちょっと…。バラして梱包して郵送することになった。解体場所を提供して
くださった警察署に感謝。
町中を走り回り、ダンボールや必要な物をかき集めた。

作業が終わる頃、既に日が暮れていた。Danchoxxは体の痛みがひどい様子で、
それでも作業の手を止めることはなかった。Danchoxxの気持ちを考えると、本当に
無念で言葉がない。

宅配業者を待つこと1時間、ようやく全ての作業が終わり、出発の準備をした。
Danchoxxは新幹線で帰還、途中名古屋で店長と合流するとのこと。

PM 7:00 静岡・蒲原町を出発。ここからは隊長も加わり3名での走行。
静岡はバイパスが多く、カブが通れないバイパスを迂回するため少し道に迷った。
それでもなんとか下道のR1に入り、まだ車の多い中順調に走行。

PM 8:00 静岡市街に入った。名古屋まで184kmという標識。
PM 8:15 道の駅「宇津ノ谷峠」到着。ここまでの
総走行距離は866km。
この辺りから道路の流れが早くなり始めた。
しかも山道になるので少し注意が必要になる。

仮眠して回復した体力も昼間の作業で消耗し、
この時点ではほとんど箱根付近の体力と変わら
ない。しばらく休憩して出発。
出発してすぐ「藤枝バイパス」という原付走行禁止のバイパスが現れた。気がつくと
そのバイパスに乗っていた。道路標示も全て緑色。道路の流れは100km/h。
恐ろしい場所に迷い込んでしまった。すぐ隣を大型車が走る。それに伴う強風が
軽いカブの車体を大きく揺らす。轍(わだち)も強敵。転倒しないよう必死で走る。

続いて島田バイパス、有料の掛川バイパスを通る。恐ろしい時間だった。
掛川バイパスを抜けてすぐに見つけたコンビニで休憩した。PM 9:50 911km。

この辺りからR1は2車線、3車線になって走りやすくなり、エリさんと僕はとても喜んだ。
磐田バイパスを通る頃には22時を回っていたので無料で通れた。でも恐怖。

PM 11:50 浜松通過。右手には浜名湖が広がる…が真っ暗で見えない。
でもこの磯臭さは浜名湖だ。そしていよいよ長かった静岡県に別れを告げる。


PM 11:55 愛知県豊橋。信号待ちをしていると隊長がそっと耳打ちしてきた。
「俺、もうあかん」 そう、隊長はこの時点で既に意識が薄れていた。
とりあえず次の給油まで走行。隊長が消えないか必死にミラーを見続けた。

AM 12:05 7回目の給油。この先R1とR23の分岐点があり、大回りをするR1より
R23を通って名古屋市街をショートカットしたほうが良いという隊長の意見だった。
これ以上は無理だと判断した隊長はここで仮眠を
取ることにした。自分の体の調整の上手な隊長が
選択した手段だから、無理に走らせるわけには
いかない。僕とエリさんは先へ進むことにした。

かならず大阪で再会しようと約束し、出発。
(風邪ひかないか心配)
出発してすぐR23に入った。道路も広く、かなり走りやすい。どんどん距離を消化する。
限界を超えた二人にとって危険すぎるスピード。また何度も意識が飛ぶようになった。

意識が飛ぶってわかりますか? つまり居眠り運転なんですが、実際に体験するのは
初めてだったので、対処しきれず、やられるがまま、という感じです。

R23は長い長い農道へ、そしてバイパスなど様々な姿に変化した。
60km/hで走行するだけの体力は残っておらず、ずっと45km/hで走っていました。
だからバイパスなどは本当に恐怖です。いつ弾かれてもおかしくない。

カブに乗る姿勢を保つのも困難になりました。足をステップバーに置いておくことが
できないのです。何度もズルっと踏み外しました。そんな体で高速道路に成りかけた
R23の高架へと進みます。

名古屋へ入り、R23は高架へと姿を変えました。このR23は元々高速道路になる予定
だった道路で、流れが早く、たまに1車線になり、今回最大の恐怖を感じました。
僕もだんだん蛇行し始め、エリさんも意識が飛ぶようになってきたので、高架を下りました。

この体力では大阪まで戻れないとわかっていたので、どこかで朝まで仮眠をとることに
なりましたが、隊長が薦めてくださった長島パーキングエリアまではまだ距離があります。

菊地口IC付近のコンビニへ。現在地を知るのにも苦労した。しばらくして、ようやく把握。
エリさんはどこかファミレスを見つけて朝まで休憩するから僕に少しでも先に進んで欲しいと
言ってくださった。でもこんな知らない場所に1人残すわけにもいかないし、それよりも
ここまで一緒に助け合いながら走ってきたので、最後まで一緒に走りたかった。


マップルを見ると休憩所を表す紫色の文字で「名古屋TS」というものを近くに発見した。
TS?何の略だろう。でもそこへ行けばここよりは安全だろうということで移動することに。
最後はカブに乗る体力さえも残っておらず、カブを押して移動しました。

AM 3:30 名古屋TS到着。TSってトラックステーションの略だったのか。
周りには多くのトラックが停まっていた。建物の中に入ると料金表があり、料金を払えば
お風呂と仮眠室を利用できるということなので、ここで仮眠をとることにしました。
AM 4:00 就寝。


朝、隊長からの電話で目が覚めた。隊長は豊橋で仮眠後、すぐに出発し既に大阪へ
帰還されたらしい。イエカブ自走組最初の完走者。さすが隊長、ペース速すぎです。
とりあえずこれで一安心。前日の夜に出発されたわーでぃさんもきっと順調だろう。

外を見ると…大雨。ほんまかいな。 この雨の中を走るのか。でも名古屋まで来ている
ので、あと6時間程度で帰還できるだろう。 リュックから雨具を取り出した。

エリさんはモンベルのレインスーツ&BAGカバーで完全防雨。僕はホームセンターの
安物レインパンツとナイロンジャケット(抜群の吸水性)。リュックは雨ざらし。
と、とりあえず出発しよう。

AM 9:20 出発。
体力もかなり回復していたので良いペースで走行できました。名古屋を抜け、愛知県から
三重県へと入ります。R23からR1へと入り、鈴鹿突入。また牧場っぽい香り。

とにかくすごい雨量。普段なら外出を控えそうなぐらい降ってました。リュックもポーチも
水びたし。でもそんなことを気にする余裕はなく、ただひたすら走ることに集中。
AM 11:05 道の駅「関宿」到着。
エリさんが御馳走してくださった暖かいコーヒーが
とてもおいしかった。もちろん甘めで。

エリさんの持ってきていたガソリンボトルの燃料を
二人で分けた。これで最後までもつかな。

ここからは京都までノンストップで走る。
いよいよラストスパート。
出発してすぐに滋賀県入り。道の駅「あいの土山」をスルーし、水口へ。ここからはもう
ツーリングマップルは必要ない。知っている道だ。栗東、草津を通り、大津へ。
ここでエリさんのリトルにトラブル発生。エアクリに水が入ったらしく、ボコボコと音をたて
すぐにエンジンが止まるようになった。近くのバイク屋に行くことも考えたけど、このまま
走ることにした。僕がエリさんのリトル、エリさんが僕のリトルにチェンジして出発。
アクセルを吹かしながらなんとか走ることができた。京都府に入り、山科を抜け京都市内へ。

いつもの街並みがとても懐かしく思えた。京都…ただいま。R1からR9に入り、ここでカブを
チェンジした。R9とR67との交差点、ここでエリさんとお別れ。
こんな過酷な条件下で走り続け、京都−東京往復を達成したエリさんは本当にすごい。
僕が一緒に走っていることで多大な負担をかけたに違いない。ごめんなさい(汗)
辛い道のりを一緒に乗り越えた仲間との別れ、寂しい気持ちでいっぱい。
そしてエリさんは無事帰還されました。

僕はR67で茨木へ向かう途中にガス欠を起こし、予備タンクまで空っぽになり、10分ほど
押してGSへ辿りつきました。そしてここで異変に気づく。携帯&デジカメが水びたし…。
いや、今はそんなことを考えている暇はない!急いで出発し、そしていよいよ高槻へ。

PM 3:00 三木サイクル帰還。やった…大阪−東京往復達成!!!
三木サイクルには店長&モーリーさん&Danchoxxがおられ、帰還を見届けてくださいました。
帰路の過酷さを説明し、しばらくマッタリしました。そして帰宅後…出勤。ハードすぎる。

夕方頃わーでぃさん帰還、何度か転倒したらしく、ボロボロの状態だったそうです。
奈良のオカダさん&恕水さん一行も帰還が確認できました。

みなさん、本当にお疲れ様でした。そして、応援してくださったみなさん、ありがとうございました。
+大阪−東京往復を達成して+

そんなわけで生涯忘れることのできない3日間となりました。往路はどうしてあんなに快調に
走れたのかが疑問です。きっとカフェカブという目的があったからだとは思いますが、往路で快調
すぎた分のツケがやっぱり復路でやってきました。レポの表現が大袈裟だと思う方もおられるかと
思いますが、まぁ実際はそれ以上に過酷だったわけで…。 この挑戦を達成できたのも全て応援
してくださったみなさんのおかげです。いっぱい勇気をもらいました。本当に感謝してます。

この自走で経験したたくさんのことを、これからの人生にうまく繋げられたら、と思います。
これからも挑戦する気持ちを失わず、更なる偉業を達成するべく走り続けます。
そしてリトルと一緒にもっとたくさんの思い出を作っていきます。

ありがとうございました。 

オックン。
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